光の後に来た影 - 青い空と海の元での猛省
- tomonoworks3
- 5月21日
- 読了時間: 3分
こんにちは、TOMONO Works です。
最近、嬉しいことや良いことが立て続けに起こっていました。
心が上向きになって、「よし、ここからまた頑張るぞ」と明るい気持ちでいた矢先のこと。それを一瞬で打ち消すような、人生の大きな落差を経験することになりました。
今は正直、ひどく落ち込んでいます。
長年お世話になっている、大切な友人を怒らせてしまいました。
原因は、一方的に100%私の方にあります。言い訳の余地なんて、どこにもない過ちでした。
その友人は、私よりかなり年上で、沖縄という土地で育ち、これまで本当に色々な苦労を重ねてこられた方です。その人生の深みから滲み出るような、大きくて温かい心を持った人で、未熟な私のことを、いつも大きな心で受け止めてくださいました。
その居心地の良さに、私はすっかり甘えきっていたのだと思います。
「この人なら、どんな私のわがままでも許してくれる」
そんな傲慢かつ自分の心の弱さが、気づかないうちに育ってしまっていました。しかも最近の好調続きが自分の調子に乗った心にさらに拍車をかけてしまったのかもしれません。
いま、窓の外を見ると、皮肉なほどに美しい景色が広がっています。
梅雨の合間の、真っ青な沖縄の海と空。
いつもなら心を解放してくれるはずのその眩しさが、今はフィルターを通したように遠く、そして私の沈み込んだ心とは対照的に、残酷なほど鮮やかに輝いています。その青さを見つめながら、私は今、猛烈に自分を恥じ、反省しています。
私は、友人の持つおおらかさをいつの間にか、自分のわがままの免罪符にしてしまっていたのです。
すぐに心から謝罪をしました。でも、今は取りつく島もなく、拒絶されているような状態です。「あの時、なぜあんなことを」という激しい後悔が頭を離れません。
もし、この記事を読んでくださっている方のなかに、「この人は何を言っても許してくれる」「いつも笑って受け止めてくれる」という、空気のように温かい存在がいるなら、私のこの痛みを、ほんの少しだけ心に留めておいてもらえたら嬉しいです。
人の優しさやおおらかさは、決して「何をしてもいい、甘えのフリーパス」ではありません。
むしろ、その人が苦労の末にたどり着いた、尊い「努力の結晶」かもしれない。それなのに、受け止めてもらえることに慣れてしまうと、私たちは自分の未熟さを相手に押し付け、境界線を踏み越えてしまう。失って初めて、その優しさがどれほど奇跡的なものだったかに気づくのです。
身近にいる大切な人の優しさに、あぐらをかいてしまってはいないか。私自身、この痛烈な経験を通して、今一度深く自分に問いかけています。
傷つけてしまったという事実は消せないし、許してもらえるかどうかは、相手が決めることです。
今の私にできるのは、自分が招いたこの痛みを言い訳せずに向き合い、ただじっと引き受けること。自分の弱さを認め、痛烈に反省することだけが、今の私に残された唯一の誠実さなのだと思います。
この晴れ渡る沖縄の海と空のように、私の心も、そして大切な友人との関係も、いつかまた澄み切る日が来るのだろうか。
今はまだ答えが出ませんが、この痛みを忘れないように、そして大切な人を二度と傷つけない自分になるために、あえて今の等身大の気持ちを言葉にして残しておこうと思います。
いつかまた、その大切な友人と笑顔で向き合える日が来ることを心の底から願いながら、まずは自分の心を少しずつ調律していきたいです。





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